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「出版ダイジェスト」(2000年10月21日発行 第1797号)より転載


《子どもと読書と》
上笙一郎

わが幼少期の読書歴
 児童文学の批評と研究を仕事にしているので、しばしば、「さぞかし、子どもの時から本を読むのが好きで、良い本に恵まれていたんでしょうね?」というふうに言われる。しかし、残念ながらそうではなかった。

 わたしの生まれて育ったのは埼玉県の山の中の小さな村、そこに住む蒸籠(せいろう)職人の家だった。太平洋戦争のはじまる少し前、村での仕事がなくなった父は労働者として東京へ出稼ぎに行き、数ヶ月に一度帰って来るとき雑誌「小学一年生」や「幼年倶楽部」などを買って来てくれたが、それが幼少期のわたしが得た書物のすべてだった。単行本を買ってもらったおぼえは皆無である。児童文学の名作にふれたのは、「幼年倶楽部」連載の千葉省三再話「ニルスのぼうけん」(ラーゲルレーフ作)だけだった。

 しかし、本を借り読みするチャンスはいくらかあって、小学校一年生の秋のある日だったと記憶するが、隣り集落のお大尽の家の姉弟である道子さんとしげるさんから、「講談杜の絵本」の『万寿姫』を借りて読んだ。家へ戻る間も惜しくて、道でページを開いて眺め入ったことが、今なお生き生きとよみがえって来る――

 父母から買ってもらったおぼえはないのに、当時のベストセラーだった子ども漫画『こぐまのコロスケ』(吉本三平画)や『のらくろ』(田河水泡)シリーズなどはみな見ている。そして、少しは漢字が読めるようになってからだから三年生くらいのときのはずだが、当時の大衆的な少年小説、『敵中横断三百里』(山中峯太郎)や『吼える密林』(南洋一郎)などを手に取っているのである。

 都立中間層の家庭に生まれ育った人にくらべると、わたしの幼少期は、本に恵まれなかったと言うほかない。そこで、仲良しだった先輩の児童文化評論家冨田博之さんなどは、「それで上さんは、子どものとき本を沢山読めなかったマイナスを取返すつもりで、児童文化を研究するようになったって訳かね」と言われたが、そのとおりであるかも。

山と川と村の道
 しかし、書物に恵まれなかったからといって、わたしは、幼少期の自分を不幸だったとは思っていない。山峡の村だったので、当然ながら山があり川があり、川に沿ったり渡ったりしてつづく道があった。

 村の小学校の教師たちは、子どもたちが国家社会のエリートではなく〈一人前の村人〉になることを望んで教えていたから、わたしたちを〈成績〉で脅かすことなどなかった。したがって学校は少しも苦痛でなかったし、学校から帰れば、同じ村組の内外の子ども仲間があり、夕闇の降りるまで遊び時間はたっぷりとあったのである。村の道では鬼ごっこや面子(めんこ)をし、山では木登りや兎追い、川では水浴びと魚取り、その他その他。〈遊びへの欲望〉は満たされていたと言ってさしつかえない。

 そして家に戻れば、そこには、子どもながらに〈生活への参加〉という局面が待っていた。農家の子であれば、畑仕事の手伝い――桑の葉摘みやお茶運び、時には麦刈りや芋掘りも。わたしの家は農家でなかったので畑仕事の手伝いはせずに済んだが、隣りの家の井戸からの水汲み・風呂焚き、山裾を歩いての焚き木拾いや春の摘み草・秋の茸取りは、おのずと子どもの仕事になっていたのである。

 わたしは、こうした日々の生活において、〈人間としての基本〉を身に着けたような気がする。人は、どのような事に出会えば嬉しくどのような状況に置かれたら悲しいのか、実感をもってその見当をつけることが出来るようになったし、このような事までは爲ても許されるがここから先の事は決して爲てはならない……という人間道徳的な規準。誰からも口やかましく教えられたおぼえはないが、父母や近隣の人たちの言動、言動にまで行かぬ挙措(きょそ)から、それとなく感取したのだった。

 人間としての基本的な心情とモラル、それが養われていた故に、わたしは、他の人の心に共鳴することの出来る大人になれたのだと思う。見知らぬ人であっても、困難な状況にある話を聞けばなにがしか胸を痛めないではいられないし、フィクションとノンフィクションであるとにかかわらず、そのドラマに真実があれば、深く感動してしまうのである。

〈人間としてのアンテナ〉のない子
 しかし、新たな世紀を迎えようとしている今、日本の子どもたちの状況は、恐ろしいほどに変わってしまった――と言わなくてはならない。

 わたしが幼少期を過ごした半世紀前にくらべると、二十世紀後半期の子どもたちは、衣・食・住の生活において眼をみはるほど恵まれており、読書生活についても同様だ。子どもに宛てた絵本・雑誌・童話・少年少女小説は書店にあふれており、親たちの経済力を反映して、子どもたちは雑誌や童話の本を望むがままに買い与えられるようになった。そして加えて、通っている学校には学校図書館があり、地域の図書館には児童図書室が作られ、心ある母親たちのボランティア活動による〈子ども文庫〉運動というものまでが展開したのである。

 すなわち、日本の子どもの読書環境というものはプラス方向に大きく進展したのであり、一九七〇年代から八〇年代にかけては、子どもの読書の黄金時代であったと言ってもさしつかえない。心ある母親たちのリーダーシップの下、日本の子どもたちは、学校教育からは得られぬ人間心情的な養いを児童文学的な書物から得、〈一人前の人間〉に育って行ったのだった。

 ところが、それより十数年をへだてた今は、状況はまるで違うのだ。小学校でいわゆる〈文学教育〉をする教師は減少、母親のボランティア活動としての〈子ども文庫〉運動は低調となり、その結果、子どもたちは本というものを読まなくなってしまったのである。

 そのようになったについては、いくつもの原因が重なっていよう。七、八〇年代に子ども読書運動に参加した母親たちの胸には、〈わが子のための読書運動〉というモメントが大きかった。したがって、その〈わが子〉が青年となり、果ては成人してしまうと、情熱は薄れるか他へ向かって行き、子ども読書運動はおとろえた。加えて、コミュニケーション=メディアの発達により、テレビ=ゲームをはじめとするいわゆる〈ディジタル遊戯〉が登場し、漫画・劇画をも上まわる刺戟的なおもしろさを持っていたため、子どもたちの表層的な興味をさらったという事情もあったと言えようか。

 憂うべき状況であることは確かだが、しかし、本当に憂慮すべきは、今でも子ども読書運動をつづけている人たちから聞かれる、次のような言葉である。――「かつての子どもたちと違って今の子は、本を読んでも、ちっとも感動しないんです。学校の成績は良くて、文章を読む力はあるんですけど、本の中味のドラマには上の空なんですよ。まるで、〈人間としてのアンテナ〉がないみたいで、何だか怖(こわ)くなってしまいます」と。

 日本人同士だから言葉は通じるのだけれど、こちらがいくら喜びや悲しみの気持を伝えようと努力しても、それには全く無感応。そして、自分の利益または欲望の充足にしか心が向いていない子供が増えたというのである。

 〈人間としてのアンテナ〉を欠いた子ども、すなわちプライドと尊厳の上に立つ〈人聞〉の〈条件〉としての感情やモラルを、感性レベルで身に着けそこねている子どもということになる。近年、青少年たちによるおどろおどろしい犯罪が頻発しているが、そのひとつの露頭であるにちがいない。

〈人間的感性〉を養うには
 いま、子どもを読書にみちびくには、すぐれた児童文学作品や科学的な読物を書き、困難な出版商況下、それらを着実に世に送り出して行くことも大事だし、衰えた子ども読書運動を建てなおすことも大切である。小学校その他における文学教育も、また。しかし、それ以上に必要なのは、子どもたちに〈人問としてのアンテナ〉を立てること、自分の喜び・悲しみに笑い泣くとともに、他の人のそれにも思いを寄せ得る〈感性〉を養うことであるだろう。

 本のなかの人問ドラマにほとんど反応しない感性を、本のドラマにアプローチさせることで開発することが、不可能とは言えない。けれども、人間の〈基本的な感性〉は、間接的な体験としての読書より、むしろ直接的な体験、言い換えれば現実の日々の生活によってこそ培われるはずのものだ。

 ――ということになれば、答えはおのずからに明らかだ。子どもたちが、その日々の生活において〈本物の体験〉を持ち得るようにする――という一条である。〈子どもの幸福〉という美名の下、わが子を世評の高い学校に入れるべく学績競争のレースに立たせたり、そのための勉強の邪魔になるからと、家族の一員として当然に担当すべき家事的仕事をさせなかったり、友達との遊びを許さなかったりしてはならないだろう。そして、わが子へのいたわりのつもりから、逼迫している家計を打明けぬというようなことも、爲べきであるまい。

 一言に要約すれば、子どもを特別に待遇するのでなく、〈人間〉として対等にあつかえ――というだけのことである。そのような生活に置かれれば、子どもたちも人間生活のドラマを現実に体験することになり、それへの対処の積み重ねはやがて〈基本的な感性〉をはぐくみ、〈人問としてのアンテナ〉を確固たるものとするだろう。

 わたしは、ふたたび、幾十年も昔となってしまった自身の幼少期を思い浮かべる。本には恵まれなかったけれども、学校で成績競争に身を焼くことはなく、村には子ども仲間との遊びがあり、家では適度の家事仕事をしなくてはならず、家計の貧しいことも身をもって察しがつき、そうした体験の総和によって〈人問としてのアンテナ〉を持つことが出来たのだった。

 高度資本主義社会に突入し複雑な生活に到達してしまった今日、わたしの生い立った頃と同じな牧歌的な子ども生活を望むものではない。けれども、子どもたちに、わたしなどの味わったのと同じような〈生活体験〉を――と、願わずにはいられないのである。
(児童文化評論家・かみ しょういちろう)

筆者略歴
上 笙一郎(かみ しょういちろう)
1933年、埼玉県飯能市に生まれる。
1954年、文化学院文科卒業。児童文化評論家。日本児童文学者協会、日本児童文学学会、日本子ども社会学会等の理事を歴任。

〈著書〉児童文化研究に、『児童文学概論』(東京堂出版・中国語訳あり)、『増補版・与謝野晶子の児童文学』(日本図書センター)、『児童出版美術の散歩道』(理論杜)など、児童史研究に『日本の幼稚園(幼児教育の歴史)』(ちくま学芸文庫・毎日出版文化賞受賞)・『日本児童史の開拓』(小峰書店・日本児童文学学会特別賞受賞)、『日本子育て物語(育児の社会史)』(筑摩書店)など。
上笙一郎 著『文化学院児童文学史 稿』はこちらへ
上笙一郎 山崎朋子 著『光ほのかなれども』はこちらへ

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